2008年8月27日水曜日

東京ビートルズ−お父さんも歌っていた

 わが国で最初のビートルズのコピーバンド「東京ビートルズ」を描いた連載記事の1回目。戦後50年企画の一環として掲載された。平和な現代社会から恥ずべき過去へ遡るシーンを、娘の視点を通して劇的に仕立てた。現在の父を印象的に表した書き出しは、ちょっと思いつかない。

 父はカラスが嫌いだ。

 庭の菜園でキュウリやナスをつくっている。ところが、実がなると、カラスがくわえて行ってしまう。いつも、父は、うらめしそうに空を見上げている。

 父…斎藤峻。49歳。音楽事務所経営

 私が小学生のころ、父は忙しくて、あまり家にいなかった。有名な歌手のマネジャーをしていた。

 私…斎藤絵理。23歳。峻の長女。23歳

 ある日、遊びに来た父の友達から、こんなことを聞いた。「絵理ちゃんのお父さんも昔、歌っていたんだよ。東京ビートルズというバンドで」。でも、それが何を意味するのか、当時は、よく分からなかった。

 そのころ、3つ上の兄がたんすの一番上の引き出しに隠してあった厚紙の箱を見つけた。青いシートレコードが10枚入っていた。私たちが手裏剣のように飛ばして遊んでいたら、母にこっぴどく怒られた。

 いま思うと、それは、父が歌っていたという東京ビートルズのシートレコードだったのかもしれない。

 その後、わが家では、東京ビートルズは忘れ去られていた。それが、去年の11月、記憶の隅から強引に引き戻されたのだった。

 自分の部屋のラジカセで、ぼんやりとFMを聞いていた。「続いてのナンバーは東京ビートルズの『抱きしめたい』」。一瞬、放心した後、私は「お父さんだ」と叫んで居間へ走った。

 テレビを見ていた父の腕を取ってラジカセの前に連れて行った。とたんに、父は顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。一緒について来た母はおなかを抱えて笑い出した。

 お前の冷たいそぶり 気も狂いそうな俺さ 俺さ 俺さ

 本物のビートルズの「抱きしめたい」をコピーした、その歌は、赤面するほどへたくそだった。なにしろ、歌詞が日本語なのだ。

 照れて私の目を見られなくなった父の横顔は、その時、30年前、白いトレーニングウエアを着てジャズ喫茶で歌っていた東京ビートルズの「斎藤タカシ」にタイムスリップしていた。

 ■東京ビートルズとは(復刻CD発売時の紹介記事より)
 「東京ビートルズ」を知ってますか?英国のビートルズの曲を、日本語歌詞で歌うという、いい根性をしたバンドである。1964年に結成、ジャズ喫茶やテレビで活躍した。
 「謎健児」なる訳詞者が書く歌詞がものすごい。例えば、名曲「抱きしめたい」は「お前の冷たいそぶり/気も狂いそうな俺さ俺さ俺さ」。「キャント・バイ・ミー・ラブ」は「買いたい時にゃ金出しゃ買える/スカシた色の 車も買える/それでも買えない 友だちだけは」となる。頭がクラクラしそうな曲が、堂々とCDで復活する。AMラジオで流したところ、大好評で「東京ビートルズコーナー」までできてしまったというから、世の中わからない。

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