2008年8月9日土曜日

田中角栄死去

 田中角栄死去の評伝。筆者は現在最も格調高くハイブローな原稿を書く政治記者。時代を象徴する出来事、人物を表する場合、書き手の歴史観・政治観の水準が露見する好例だ。書き出しと最終段落を絡めるのは、逆三角形にする必要のない評伝の基本作法。

 どこか、浪花節のような「影を慕いて」だった。自分の世話で就職した人たちとの懇談会に出かけた首相・田中角栄氏は、懐かしそうに歌った。

 昭和九年三月、雪国新潟の寒村から上京した時、この歌が街を流れていた。住み込み店員から土建業で身を立て、戦後の政界で出世、そして刑事被告人なった生涯は、昭和動乱のひとつの象徴だろう。

 この人ほど自民党政権の光と陰を体現した政治家はいない。

 昭和二十年代、矢継ぎ早に手がけた国土開発の議員立法。蔵相、幹事長などほぼ政権主流にあって、高度成長を促す経済運営に組みした。「日本列島改造論」には出稼ぎ解消、格差の是正を込めていた。高速道路、新幹線の整備はいわばゴールだった。日中国交回復は戦後外交の大きな区切りとなった。

 「政治は生活だ」というのが演説の枕詞だった。前のめりともいえる経済至上主義は、物的な欲望を刺激し、日本の繁栄を演出した。が、時として抑制が利かず、狂乱物価に国民の不満が噴き出し、政敵福田赳夫氏の追及を受けた。「政治とカネ」をめぐるスキャンダルがまとわりついて、もう一人の政敵三木武夫氏の挑戦を受けた。

 炭坑国管事件に連座(二審で無罪)、「金脈」による首相退陣、そして首相の犯罪ロッキード事件の発覚。カネの力を信じ、派閥を養い、党内支配権を築く金権政治は、自民党政権を内側から崩した。

 この人の権力への思いは、デーモン(悪魔的なもの)を感じさせた。ロッキード事件後にむしろ、田中派の膨張に腐心し、「数」の力で歴代首相の選出に関与した。「やみ将軍」といわれ、「田中支配」と疎まれる不正常な権力状態をつくった。

 「自民党の七割は俺の人脈」「総理総裁は帽子だ」。われこそはミスター自民党だという自信は、利権やら派閥やら、地方権力やら業界やら、現実政治をめぐるどろどろした人間関係に裏付けられていた。強力な政治力で裁判に対抗、復権しよう、という錯覚もあったかもしれない。

 常ならぬ権力は、クーデターを呼ぶ。世代交代を阻まれた金丸信、竹下登氏らは、田中派の主力議員を奪って、反旗を翻した。元首相は怒り、病に倒れ、再起できなかった。田中支配から竹下派支配へ金権の呪縛は深化し、政官財を闇の力とカネでつないだのは、この人の罪だった。

 にもかかわらず、「角さん」はたぐいまれな明るいカリスマ的魅力の持ち主だった。人を気遣い、冠婚葬祭を重んじた。権力の階段を上っても、民衆の匂いが染み付いていた。

 選挙区新潟三区は、戦前、小作争議が激しかった。東京で成功した農家のアニが「若き血の叫び」を旗印に選挙に出た時、旧支配層に抵抗した農村指導者が陣営に流れ込んだ。これらの人々が、戦後保守の草の根になる。

 後援会・越山会は、アニを「盟主」と呼んだ。そこには、公共事業による利益誘導だけではない交情があったことを否定できない。ロッキード有罪判決後の危機を、二十二万票で支えた。「これは百姓一揆だ」と盟主がつぶやいたのが耳に残る。

 吉田茂、池田勇人、佐藤栄作らの懐に飛び込んで出世をつかんだエネルギーと卓抜な世間知。角栄門下で政治闘争の裏表を学んで、小沢一郎、羽田孜、細川護煕の各氏ら次代の政治家が育った。角栄世代の戦後政治はいま、彼らに変えられようとしている。

 「田中角栄」は、人々が都会に向って人生をしゃにむに切り開こうとした「上り列車の時代」の英雄だったのかもしれない。


0 件のコメント:

 
tracker