2008年8月14日木曜日

五輪讃歌

 五輪開会式は美文調で理念を歌い上げる、現在のジャーナリズムでは稀な機会だ。その是非はさておき、文体のバリエーションとして各国の本記を拙訳(文体紹介なので意訳をしません)で紹介する。

百年の夢がきょうかなう(新華社)

 百年の五輪夢、その夢がきょう叶う。今晩、幾億の中華青年男女の知恵と熱望を傾注した第29回夏季オリンピックの開幕式が、全世界に向け、その神秘のベールを脱ぎ捨てるとき、神州大地の万民は喜びに沸いている! 天安門広場で、鳥の巣で、雪の高原で、砂漠の極北の村で、四川大地震被災地区の被災民キャンプで、至る所、風を受けて翻る五星紅旗、至る所、「頑張れ中国、頑張れ五輪」の歓声。わき上がる群衆、中国と国旗のマークを顔に描き、五星紅旗と五輪旗を振る都市農村の群衆は、オリンピック精神が中華の大地に発揚し、改革開放の中で聳えたつ中国の進歩・解放の証左となった。

 「中国頑張れ、五輪頑張れ」は最も熱烈な祝福の言葉だ。

 夜の帳が降りた北京天安門広場は宝石のように輝き人を惑わす。花は海のごとく、灯火は星のごとし。人の波がわき起こる。

 天安門広場の東、国家博物館前にそびえる立つ五輪逆算時計が歴史を刻む。「10、9、8、7・・・2、1」。人々が声を揃えてカウントダウンするなか、1417日の赤い数字が点滅した。2008年8月8日夜8時、突然動きを止め、ゼロになった。その刹那、歓喜の声がわき起こり、平素相知らぬ人々が互いに手を打ち慶事を祝った。

 「世界の注目を集めるオリンピックが初めて中国の歴史ある地で盛大な幕を引き開く。中華民族百年の夢が現実になる。どうして感動しないでいられようか」と68歳の男性が言う。

 今晩の天安門の城郭はこと更に荘厳と光輝を増す。無数の提灯が、天安門の輪郭を金色緑色に輝かせている。城郭の上の国章が黄金に光る。

 天安門広場には黄色い肌、白い肌、黒い肌が寄り集まり、歓喜の奔流となった。(以下省略)

文化と希望でゲームが始まる(ニューヨークタイムズ)

 20世紀最後の冬季五輪は、きょう、国際平和と兄弟愛の理想主義的希求を広める、日本文化の簡素かつ伝統的な祝いで幕を開けた。

 アメリカのイラク攻撃が迫るなか、国際オリンピック委員会会長はすべての国に16日間の五輪期間中の停戦を求めた。

 サマランチ会長は、IOCによるオリンピック停戦のアピールが、人類の悲劇に終止符を打つ努力として、国際対話と外交的解決を醸成することを願うと述べた。

 72国2450人の選手が南スタジアムに入場した後、尊敬されている日本人フィギュアスケート選手、伊藤みどりが聖火を点灯した。2時間の開会式の約20分は、ベートーベン「歓喜の歌」の演奏にあてられた。

 ベートーベンの第九交響曲のクライマックスは、近代五輪の父とされるフランス人、クーベルタン男爵の希望により、すべての五輪で演奏される。しかし、今日の演奏は、音楽的にも技術的にも高度な名人芸を体現した、とりわけ野心的なものだった。

 白い空の下、5万人の観客が壮大な日本アルプスに囲まれた競技場を埋めるなか、人工衛星でリンクした5大陸のコーラスによって歌われた「歓喜の歌」は、絡み合う五つの輪を象徴した。ボストン交響楽団総監督の小沢征爾は、ニューヨーク、ベルリン、北京、シドニー、南アフリカのケープ岬にいる200人の合唱団を指揮した。コーラスは、長野県文化会館の90人、開会式会場の2000人の合唱団と時間差技術で繫げられた。

 舞台を取り巻く80人のバレーダンサーと演奏は、かりそめにせよ、人類皆兄弟という、交響曲の理想、五輪の理想に首肯する気持ちにさせるものだった。

 統一と調和を21世紀に、というテーマは開会式を通してこだました。聖火は英国の反地雷運動家、クリス・ムーンによって会場に運び込まれた。右手と右脚を失ったため、左手でトーチを掲げたムーンは、子供たちに囲まれてアリーナを回った。

 空に放たれた、鳩の形をした約2000個の風船には、長野の子供が書いた平和のメッセージが添えられている。戦後三度目の五輪に込められたメッセージは、平和友好の未来を押し進めることで、侵略主義の過去を清算したいという日本の願いだ。(以下略)

五輪100年、新世紀へ(朝日)

 風がやんだ。

 蒸し暑い盛夏は、夜になっても客席に火照りを残した。八万人の観衆で埋まった五輪スタジアムは、この夜、地球で唯一最大の脚光を浴びる舞台となって、南部ジョージアの暗く濃い闇にきらめいた。

 近代五輪が始まって百年。地球の一点に初めて集まった全百九十七の国と地域の代表は、日指しに刻々と色合いを変える大河のように、華やかにスタジアムに繰り出してきた。

 先頭に立って入場してきたのは、古代五輪の聖地ギリシャの選手団だ。クーベルタン男爵の提唱で、百年前に復活した近代五輪の開催地はアテネだった。その時参加したのは、わずか十三カ国、三百人足らずの選手にすぎなかった。

 パリ。セントルイス。ロンドン。小さな泉から発した近代五輪は、世紀を越えてせせらぎとなり、回を追うごとに支流を集めて川幅を広げた。だが、その流れは平穏でなかった。

 「近代五輪の百年は、危機の歴史だ。何度も消えそうになり、その度に不死鳥のようによみがえった」

 夏冬を通し、今回で二十一度目の五輪に臨んだ国際オリンピック委員会の清川正二名誉委員は言う。

 一九一六年の五輪は第一次世界大戦で中止に追い込まれた。三二年ロサンゼルス大会百㍍背泳ぎで優勝した清川氏は、三六年ベルリン大会でも銅メダルを得た。

 「聖火リレーや壮大な開会式が行われ、五輪が国家イベントになったのは、ベルリン大会からでした」

 開会を宣言したのは、褐色の制服に身を包むヒトラーだった。戦火の中で四〇年東京、四四年ロンドン大会もまた、返上、中止に追い込まれた。

 戦後も、五輪は政治の陰に覆われ、揺らぎ続ける。

 五六年夏に開かれたメルボルン大会は、ハンガリー動乱をめぐって緊張した。水球の準決勝でハンガリー、ソ連の選手が乱闘し、プールを血で染めた。

 テロに血塗られた七二年ミュンヘン大会。ソ連尾アフガニスタン侵攻で西側がボイコットしたモスクワ大会。八四年ロス大会は、その報復として東側が不参加だった。

 冷戦が終わり、国連加盟国よりも多い国々が、ともかくも一つの場所に会した。それだけで、五輪が百年を長らえた意味はある。

 「見てほしい。政府はないが、国と旗は残った」

 開会式の前、そう語っていたかつての内線の血、ソマリアの選手団が会場に姿を見せた。

 「毎晩、眠る前に思った。明日の朝、目覚めることはもうないだろう、と」

 四年間を内戦下のサラエボで過ごした射撃のネザド・ファスリャ選手はこの夜、ボスニア・ヘルツェゴビナの旗の下で行進した。戦争で二人の叔父と祖母を失い、親友が殺された。

 「どうか平和を守ってほしい。僕が世界に言いたいのは、それだけだ」

 砲撃下でも、毎日走り続けたマラソン選手がいる。戦火でボートを失った漕艇選手が、手を振っている。

 晴れやかな顔。背筋を伸ばした選手たち。この夜、彼らに地球最大の舞台を提供した「南部の首都」アトランタもまた誇らしげだ。

 街の紋章は不死鳥だ。南北戦争のさなかの一八六四年、北軍の侵略によって焦土となった悲劇から立ち直る象徴だった。

 だが、その後も南部の黒人は、酷薄な道を歩んだ。

 「百年後の今年、世界がアトランタを五輪開催の地に選んだことには、格別の意味があるのです」

 南部キリスト教指導者会議のジョセフ・ローリー会長は言う。米最高裁が「人種による隔離をしても施設が平等なら合憲」として、差別を追認したのは一八九六年。近代五輪が産声を上げたのはその年だった。

 水飲み場や食堂、バスの座席さえも肌の色で隔離する政策を覆すには、一人の指導者が必要だった。この街に生まれたマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、非暴力で公民権法を勝ち取りノーベル平和賞を受けた。東京五輪が開かれた一九六四年のことだ。

 「アトランタはまだ途上にある。だがこの町が百年をかけて人種融和に努力し、多くの障害を越えてきた現実を、世界に見てほしい」。暗殺されたキング牧師の腹心で、五輪招致を進めたアンドルー・ヤング前市長は話す。

 今回の五輪では、ゴルフを正式種目にして、名門オーガスタで開催しようとする動きがあった。だが、クラブが黒人に会員の門戸を閉ざしていることが問題になり、立ち消えになった。

 ヤング氏がいうように、人種問題の解決には、まだ時間がかかる。だが、この町が、人種平等を掲げたキング牧師の言う「夢」を老い続けてきたのは事実だ。

 「五輪の聖火が人から人に受け継がれるように、私たちも次の世代に、心の尊厳を伝えましょう」

 開会式前の日曜日、かつてキング牧師が主宰したエベニザー教会の礼拝で、黒人女性は静かに呼びかけ、拍手を浴びた。

 政治の陰が払われた代わりに、今回の五輪で目立つのは商業主義だ。東側が威信をかけて育成した「アマチュア選手」は姿を消した。だが企業の女性がなければ、選手は世界の水準に追い付けず、大会も開けないほど五輪は巨大化した。

 しかし、人間が千分の一秒の壁を破ろうとするとき、金は無力だ。すがすがしい風を残して駆け抜けた数々の選手たちは、そう私たちに教えてくれた。

 この百年をかけて、人類は男子百㍍走の五輪記録を2.04秒縮めた。三段跳びで、4.46㍍だけ遠くに着地した。ささやかかもしれない。だが、ともかくも人は限界を超え、未知の世界に一歩足を踏み入れた。

 より速く、より高く、より強く。

 しなやかな筋肉の力動。優美な曲線の軌跡。疾走する影たち。私たちはこれから始まるドラマを、固唾をのんで見守るしかない。見守ることの幸せを、いまはそっとかみしめよう。

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