2008年8月31日日曜日

最も過酷な季節

 ラッセル・ベイカーのコラム「オブザーバー」(新庄哲夫訳)は、日本で容認されるユーモアの限界だろう。「化学を勉強し始めて三週間後に、もうクラスメートより六ヶ月も遅れてしまった」というディケンズ風語り口は日本に受け入れられないのだろうか(アメリカの限界は、マイク・ロイコ、アート・バックウォルドを参照のこと)

 九月の第三週は、学校に通っている子供たちにとっていつも嫌な時期である。その頃になると、教育のロマン、つまり新しい教科書、新任の先生、まだおろしていない万年筆、インクのしみ、わけのわからぬ数学の公式でまだ汚れていないノートなどに誘発された新学期の興奮が冷め、現実に屈するようになる。

 しからば、その現実とは何か。認識である。夏休みが再び巡ってくるまであと延々と九ヶ月もあるという認識。地理の先生が自分を嫌っているという認識。体育の先生に体格がぶざまだと思われているという認識。必修科目のうち少なくとも三科目は絶対に理解できそうもなく、何ヶ月もひどく苦しんだあげく、自分が落ちこぼれていくのを記録する落第点Fの泥沼にはまってしまうという認識だ。

 あれはジェーン・シェパードだったと思うが、その話によると、化学を勉強し始めて三週間後に、もうクラスメートより六ヶ月も遅れてしまったそうだ。これはよくある経験で、こうした焦燥感、自分はいつも出走ゲートに閉じ込められているのに、クラスメートはバックストレッチに向って疾走しているという感じなのだけれど、これは多くの人に終生消えない傷跡を残す。

 知り合いのある御婦人などは、経済的には恵まれているにもかかわらず、今なお頑にイタリアに足を踏み入れようとはしない。というのも、ラテン語の授業を三週間受けたのち、彼女はesseという動詞を、あのキケロが満足のいくように活用させることは決してできないと気付いたからである。もはやローマでキケロと出くわす恐れはないと保証しても、彼女の慰めにはならなかった。イタリア半島といえば、自分の屈辱を連想してしまうのである。

 私はといえば、ずっとドイツを敬遠してきた。十年生の時、ドイツ語には定冠詞の言い方が二ダースもあることを発見して以来である。もっとも、これは私の思い違いかもしれない。なにしろドイツ語で何から何まで間違えてばかりいたのだから。それでも一つの事実だけは歴然としている。九月の第三周にまつわる記憶なのだけれど、級友たちは、対格の中性複数形の定冠詞が求められている時に、与格の女性複数形を使う癖が私にあるのをからかい出した、この記憶は、ドイツと私の間に生涯越えられない壁を打ち立てた。

 学校側は認めようとしないが、全ての生徒に同じペースで学ぶように要求するのは馬鹿げている。学校はある仮定の下に授業を進める。つまり、クラス全員の頭脳が同じ瞬間に二項定理をしっかり理解し、次のコーナーで待つ直角三角形の斜辺の二乗に関する盛りだくさんのお楽しみ課題に、同時に進む用意ができているはずだというのである。

 数学で先生の期待によく応えた読者なら、以上のことから推し量って、私の数学の進み具合はひどく鈍かったと判断されるだろう。もしかして、本当はまず直角三角形のことをマスターしてから二項定理に進むべきだったとしても。実をいうと、私はどちらも理解できず、まったく途方に来れて、コサインとセカントに進んだ時には大混乱をきたしてしまった。

 おそらくこうなったのも、その昔、九月の第三週に、先生が9かける6は54を私が理解したと誤解し、先を急いで9かける8は77とかなんとか私に思い込ませたせいである。

 だれでもたいてい生い立ちのどこかで恐ろしい九月の第三週を経験している。もし精神科医が子供時代の体験をリビドーで解釈する際にもう少し視野を広げるならば、成人ノイローゼの新しい源泉がここにふんだんにあることに気付くはずだ。

 私の人生を狂わせた九月の第三週こそ、きょう、私が優秀な原子物理学者になっていない原因である。白状すると、若い自分は日曜日版のエッセイを打ち出すタイプライターたたきになるつもりはなかった。科学のロマンに取り付かれていた私は、アインシュタインから松明を受け継ぎ、後世に伝えることを熱望した。

 こうして私は物理の授業に出た。九月の第一周は胸がわくわくした。教科書が配られ、先生はアイザック・ニュートンとリンゴについて語り、人類発展のフロンティアである実験の手ほどきをしてくれた。二週目にはエルグを手ほどきしてくれた。エルグとはすこぶるうまくいった。エルグなしでは、ブロック材も傾斜路の邪悪な摩擦に打ち勝ち、意気揚々と斜面を登ることはできないのである。

 その週の終わりに先生はダインを手ほどきしてくれたが、それは余計なことのように思えた。私はダインを理解できなかったわけではない。理解しようと思えばできた。理解できなかったのは、すでにエルグがあるのになぜダインも必要なのかという点であった。

 第三週の月曜日になっても、わたしはまだこの形而上学的問題に頭を悩ませていたが、先生はクラス全体がもうダインをしっかり理解したものと決めてかかっており、センチメートルに突き進んだ。ひょっとしたら、ただのミリメートルだったかもしれない。そのあたりのことになるとあやふやである。現実がにわかにぼやけていったからだ。

 混乱したのは、私がまだだいんについて深い疑問を抱いているのに、ダインが理解されたとしてセンチメートルと取り組めと求められたためであった。次の日は更にひどかった。ミリグラムを習う日だった。その次の日にはテストもあった。

 驚いたことに、まだダインで頭を悩まされていたにもかかわらず、エルグだのダインだのセンチメートルだのミリグラムなどと取り組めと要求するのは無茶だと、クラスメートは抗議の叫びを一つあげるでもなくテストを受けたのであった。クラス一同は抗議するどころか、ほとんどがテストに簡単にパスした。私はエルグに関係した問題以外はすべて間違えた。以後その学年は悪夢であった。そして世界はなお、アインシュタインの後継者に相応しい人物の出現を待っているのである。

 

0 件のコメント:

 
tracker