2008年7月28日月曜日

三島由紀夫の絶望と陶酔

三島由紀夫自決事件に関する朝日社説。このころの社説は、この例に限らず、口調が文芸的で、高踏な雰囲気をたたえている。


 作家、三島由紀夫が東京・市谷の自衛隊で「楯の会」の会員一人とともに、割腹し、死亡した。

 あまりに唐突な事件だけに、世間は強い衝撃を受けながら、その意味することを解釈しかね、戸惑っている。ある人にとっては「精神異常者の犯罪」とみるほかないし、他の人にとっては、その死に重い意味合いを持とうとするかもしれぬ。

 彼は二年前、学生を会員とする民間防衛組織「楯の会」を結成し、その主宰者となった。反響民族主義を根幹とし「反共」「天皇制」「暴力是認」を旗印に掲げた。割腹の直前、自衛隊のバルコニーから隊員にばらまいた檄文にも「日本人の魂の腐敗」を憤り、自衛隊に「真の日本の文化的、民族的伝統」の継承を夢見た、彼の年来の信念が繰り返し書かれている。

 おそらく彼の行動を支配していたものは、政治的な思考より、その強烈で、特異な美意識だったと思われる。

 彼は、虚構の世界をこの世にあるもののようにしてみせる、たぐいまれな才能に恵まれた作家だった。しかし、その強烈な美意識はいつの間にか、虚構を現実のものにしようとする行動に、彼を駆り立てていったに違いない。自衛隊を名誉ある国軍とし、憲法を改正するためにクーデターを起こし、天皇を民族の歴史的、文化的な連続性と同一性を具現する唯一の象徴とするために、日本を作り替えようと本気になって考え始めた。

 作家三島由紀夫は、魔術師のように言葉を操りながら虚構の世界を作り上げたが、それだけでは満足できず、彼の世界をこの世のものにしようとした。それが虚構であったことは、いうまでもない。そして、その核をなしていたものが、戦前のような「天皇に帰一する日本民族」という大きな、むなしい虚構だったのだ。

 彼はそのことを知っていたかも知れぬ。自衛隊に現れ、東部方面総監を監禁し、自衛隊員に演説させることを強要したとき、そのことでクーデーターが成り立つこと思っていなかったことは、事前の彼の行動や檄文からも察せられる。彼自身がかつて「楯の会」について「私なりに体を張った芝居なのだ」と説明しているのをみても、彼自身には政治的な計算というものがあったわけではあるまい。ただ、彼の主張するような国家改造への可能性がなくなるほど、彼の絶望と自己陶酔への誘惑はますます堪えがたいものになったのだろう。

 三島由紀夫の芝居は、割腹自殺によって完結した。彼自身が、実は、彼の最後の創作だった。彼の描きたかった人間に、彼自身がなったという意味では、見事な完結ぶりだったともいえるだろう。

 彼の死がこのような結末を見ることは当然の帰結だったと思う。だが、彼の哲学がどのようなものであるかを理解できたとしても、その行動は決して許されるべきではない。彼の政治哲学には、天皇や貴族はあっても、民衆はいない。彼の暴力是認には、民主主義の理念とは到底相容れぬ傲慢な精神がある。民衆は、彼の自己顕示欲のための小道具ではない。人々は、お互いの運命を自分自身の手で作り上げるために、苦しみ、傷つきながら、民主主義を育てているのである。

 彼は、現在の経済繁栄の空虚さと道義の退廃を怒り「凡庸な平和」をののしってきた。彼の指摘してきた事実が、我々の社会に存在することを認めよう。しかし、それを解決する道が彼の実行した直接行動主義ではないことを、歴史は繰り返し、われわれに教えつづけてきたのではなかったか。民主主義とは、文士劇のもてあそぶ舞台ではない。


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松波 さんのコメント...
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